先日、私の地元・三重県の伊勢神宮で、「鎮地祭(ちんちさい)」というものが行われました。この祭は、20年に1回行われる伊勢神宮の「遷宮(せんぐう)」をするにあたっての、場所を清めるという意味合いを持った儀式です。
私は2年前に飛騨に行きまして、そこで、この伊勢神宮を遷宮するための柱になる杉の木を切り倒すという祭典に参加しました。
そういった木曽で切り倒された木が、陸路あるいは川を使って、伊勢神宮に運ばれてきたわけです。これを「御木曳(おきひき)」と言います。その御木曳のあと、神社を造るための製材が行われます。
これは20年ごとに2つの場所が互い違いに使われるのですが、今回はいま更地になっているところに、「物忌(ものいみ)」と言いまして、小さな少女が巫女さんになって、この鎮地祭の主役を務めます。様々な由来があるのだろうと思いますが、私も詳しいことはよく分かりません。
この20年に1回の遷宮に今回私は非常に関心を持って見ています。20年前は、私は役所を辞めてまだ議員バッジを付ける前の段階で、私の選挙区からもたくさんの方がこの遷宮の活動に参加しているのは見ていましたが、私自身が伊勢神宮に行く余裕は、とてもありませんでした。今回は、いろいろな儀式にも可能な限り参加するようにしています。
三重県人として、あるいは全国の神社の元締めとしての伊勢神宮ですから、そこでどういった祭が行われるのか。20年に1回の遷宮はちょうど私が60歳のときに行われることになります。いまその準備を延々とやっているわけですが、非常に興味深いものとして観察をしています。
遷宮は20年に1回ずつ行われてきました。次に行われるとき私は80歳ですから、どうなっているか分かりません。したがって、今回はこれからあと5年間、しっかりとフォローしていきたいと思います。
いずれにしても、伊勢神宮はいつお邪魔しても本当に特別の気分になれる場所です。皆さんも機会があれば、是非訪れていただきたいと思います。
お伊勢さんのある町(名前忘れました)の、駅前のそばやさんの、きつねうどん、とてもおいしかったのを覚えています。
地元の人用の店っぽかったです。
お伊勢さん、またお参りしたいです。
私は学生時代に「よい配偶者に恵まれますように。」とお伊勢さんで、お願いしました。
新婚時代に無邪気に、夫とカップルで「お礼参り」にいきました。
カップルには、お伊勢さんは焼餅を焼き、わかれると後で、人から聞き真っ青でしたが、私達夫婦は仲良しです。
願掛けをして、お礼参りをするのには、お伊勢さんは、焼餅をやかずに、喜んでくださり、応援してくださるようです。
独身女性はぜひ、お願いをしてみてください。
よい夫に恵まれます。
うちの夫が、岡田さんのファンというのも、何かの縁ですね、きっと。
このブログを拝読し、不思議なものを感じました。
投稿情報: 地球人 | 2008/05/01 20:59
岡田さんが伊勢神宮に惹かれる、その気持ち良く分かります。そういう私も、日本の伝統文化に極めて引かれるのです。
伊勢神宮の式年遷宮の行事が、千三百年余りの歴史を守り通している事に感銘しています。それに比べ、現在の社会や政治の愚かさはなぜなのだろう、後世に残せるものは無いではないかと嘆かざるをえないのです。
伊勢神宮の建替えは、世界にも類例が無い「式年遷宮」という歴史的行事です。式年遷宮は、二十年毎に神殿を建替えることで、その時、神霊を一時仮殿に移すことですが、その歴史は千三百年にも及び、平成二十五年(西暦2013年)がその年に当たります。そ式年造営には、多くの費用が必要で、一般国民からも奉賛金を求めています。平成二十二年度の期限付きで、一口金壱萬円也です。国会に使い、日枝神社でも受け付けています。
岡田さんが興味がおありの様子なので、少し話を進めさせていただきます。
式年造営は、お宮の本殿を造ったり、修理したりすることをいいます。この時の改修工事で神様の住む本殿の上で工事を行うと、神様の頭上が煩くなるために工事期間だけ神様に仮住まいである仮殿に避難して頂きます。真夜中に、御神体を遷す神事で「遷座祭」と呼ばれています。また、本殿修理前に御神体を本殿から仮殿に遷すことを「仮殿遷座祭」、本殿修理後に仮殿から本殿に御神体が戻ることを「遷座祭」といいます。
営造の記録を残しています、本殿を改修した時に必ず工事の由緒や年月などを書いて天井の棟木に打ちつけた棟札です。伊勢神宮の平成二十五年式年遷宮は、第六十二回ですので、現在棟札は六十一枚存在することになります。何枚か不足していますが、戦争などのため遷宮が中断したことがあるためです。
岡田さんに、何れは参拝して頂きたいお願いをいたします。
「仁科神明宮」です、長野県大町市宮本にあります。仁科神明宮は、この地が伊勢神宮内宮の領地の「仁科御厨」(にしなのみくりや)であった時代(約千年前頃)に内宮の祭事である天照大神を分神して、この地に迎えお宮を造ったといわれています。
仁科神明宮では、伊勢神宮にならい、二十年毎に式年造営をおこなっています。ところが、江戸時代の寛永十三年(1636年)までは、伊勢神宮にならって社殿全体を立て直していましたが、これ以後は屋根の葺き替えや柱壁などを部分補修する改修に変わっています。
社殿全体を二十年毎に立て直すには莫大な費用がかかります、松本藩はこの費用負担に耐えられなくなり中断したのです。建て直しから部分改修への変化が幸いして、約三百年前の姿をそのまま伝えています。伊勢神宮のように全体を建て直ししてこなかったことから、神明造りの建物としては国内最古のものとなり、本殿・釣屋・中門(前殿)は、昭和二十八年に国宝に指定されています。
じつに感慨深いです、自公連立の議員の方々に教えてあげたい、そして、中央省庁の官僚の方々にも、無駄使いするだけが仕事ではないことを。
投稿情報: 杉浦 一郎 | 2008/05/02 11:38