今日は訪中報告の第3弾、番外編として、お話をしたいと思います。
最終日、土曜日に広州から中部国際空港への便が午後だったものですから、午前中が空きまして、孫文の記念館に行く機会がありました。
これは広州市から2時間、往復4時間ぐらいかかったのですが、孫文の生まれ故郷に孫文の記念館、そして、孫文がアメリカから帰ってきて建てた家が当時のまま残されています。そこを訪ねることにしました。
なぜ私が孫文に関心を持つかと言いますと、私の議員会館の部屋に掛けてあるのですが、私の母親の祖父の時代に、三重県の菰野町(こものちょう)というところに家があったのですが、そこに孫文が泊まって、そのときに書いていった「博愛」という額が残されています。表層などは私が議員に当選してから綺麗にしたものですが、蔵の中にあったものです。
言い伝えによりますと、私の母親の祖父は、いまから100年ぐらい前になりますが、孫文を経済的に支援する日本人グループの1人として、家に孫文に泊まってもらった。そのときに、その御礼ということで書いていったのがこの「博愛」という額であると。「高田」というのがその母方の姓です。
それ以来、孫文と日本のつながりについて、私なりの関心を持ってきました。少しでも知りたいということで、機会がありましたので訪ねました。
中山市(ちゅうざんし)というところにあるのですが、実は元々孫文の名前です。「孫中山」と言ったわけです。その名前を取って、市の名前になっています。
副市長さんや館長さん、関係者の方々に歓迎していただきまして、いろいろご説明を聞く機会がありました。
孫文は10歳離れたお兄さんがハワイで事業家として成功していた。それを頼って、生まれた家は農家で非常に貧しかったらしいですが、ハワイに渡り、そこで教育を受けてやがて医師になり、マカオで開業したと。
しかし、アメリカ時代に学んだ影響もあって、民主主義というものに大変関心を持ち、やがて中国の民主化活動にのめり込んでいったということです。
その間、中華民国政府の初代総統になりましたが、袁世凱に後を譲る形でそれを離れ、その後も様々な活動を続けた。
日本に対しては、日本の滞在期間は累計でかなり長くなるわけですが、最初は1つの中国のモデルだった。
時代も大正デモクラシーの時代で、政党政治が盛んな時代でもあったと思います。しかし、次第に日本に対して厳しい目を向けるようになったと言われています。
亡くなる直前の神戸での演説は、いまも残されていますが、日本がアジアにおいて、アジア全体の中のリーダーになっていくのか、それとも、欧米列強と同じように帝国主義をアジアの中にも広げていく、その先兵になるのかといったことに対して、どちらの道を日本は取るのかということで、一種日本に対して疑問を呈したと。是非アジアのリーダーであってもらいたい。そういった趣旨の演説が残されています。
いずれにしても、孫文を支援し助けた日本人の1人に名前を連ねていたのが、私の母の祖父であったと。当時地主をしていました。
私は中国の皆さんにも知っていただきたいのは、中国にとって孫文というのは、台湾の国民党から見ても、中国の共産党から見ても、孫文というのは最初の創設者であると位置付けられていると思いますが、その孫文が不遇の時代に日本で、多くのそれを支援する日本人たちによって支えられていた。そういう時代があったということ。そして、それを支えるという空気が、日本の中にあったと。孫文を敬愛し、隣の国中国のリーダーとして頑張ってもらいたい。そのために危険を冒してでも支えた人たちがいた。たくさんの日本人がいたということを中国の人たちにも分かってもらいたいと改めて感じました。
今日は番外で、孫文の話をさせていただきました。
厳しいスケジュールにも関わらず、時間を有効に使っていらしゃることに感心いたします。些細なことですが、漢字変換が間違っていましたので、表装が正しいと思います。最近は、私もPCを使うようになって、漢字を忘れたり、変換を間違ったりと、新たな器械を使うようになったことの異変?が起こっています。それだけ日常化したということなのでしょう。
これからも酷暑が続くと思います、どうぞお体ご自愛ください。
投稿情報: 斜家庵 | 2008/07/26 14:35
孫文と岡田さんのゆかりについて、興味深く拝読しました。孫文と聞くと、三民主義を思い出します。孫文が唱えた三民主義の中のひとつ、民権主義は、立法、行政、司法の分立を含む主権在民の思想であったようです。
私は、中国が、今後、バランスの取れた経済成長と政治的安定を実現するためには、司法部門の充実がひとつの重要な要素となるように感じています。独立した専門的な司法部門は、法の支配、少数者の権利保護を実現し、また、社会的紛争の合理的調停や和解を可能とするからです。
しかしながら、どの国でも、司法部門の充実は、制度の整備や人材の養成、それを支える価値観の社会的浸透、司法への信頼の確立を含め、たいへんな時間と労力がかかります。
このため、日本を含めた諸外国が協力出来ることがあるような気がします。高等教育機関レベルでの研究交流、法律専門家による研究交流、中国の研究者や学生の受け入れ・支援、資料・文献の提供などが考えられると思います。政治が、両国の研究交流を促進するような環境づくりをすることが大切のように思われます。
投稿情報: 霜柱 | 2008/07/29 21:55