いま、衆議院の本会議が開かれて、臓器移植法改正案について採決が行われました。
いつか、この場でもお話ししたと思いますが、4つの案が本会議にかけられ、A案からB、C、Dの順番で採決に付されることになっていました。しかし、A案が多数で可決されましたので、その他の案については、採決をしないまま、早めに本会議が終了したところです。
この問題については、いつかこのブログでもお話をしましたけれども、私としては、基本的に「脳死は人の死」であると考えていますので、A案がいいと考えていました。したがって、私自身もA案に賛成の投票をしました。
ただ、私の見通しと違ったのは、A案は可決されるのは難しいのではないかと思っていました。したがって、そのときにはD案に次善の策として賛成しようと。とにかく、いまのような状況を一歩でも前に進めることが必要だと考えていたわけですが、すっきりと分かりやすいA案が可決されたということは、やや驚きですけれども、いい結果だったと思います。
このことによって、本人の意思が生前明確でなかった場合にも、遺族の意思によって臓器移植が行われることになります。したがって、子どもの臓器移植も含めて、かなり臓器移植がやりやすくなるということになります。
この臓器移植の問題は、「人の死とは何か」という本人の死生観にも関わる問題で、答えは1つではありません。それぞれ、1人ひとり違う答えを持っている、そういう問題です。
そして、臓器を提供する立場の人々と、臓器移植を必要とする立場の人々、それによってもかなり考え方は異なる、そういう非常に難しい問題だと思います。
ただ、臓器移植が現実になかなか日本では行われにくく、海外にまで行って高額なお金を払って臓器移植を受けている、あるいは受けざるを得ないという現実。そして、そのことが結果的に、ある意味では、それぞれの国で臓器移植を待つ人たちの機会を減らし、日本人が外国で臓器移植を受けている。外国人の臓器の移植を受けている。それはやはり正常な状態ではありませんし、この先長続きするものでもありません。
そういう意味では、臓器移植を強く望んでいる患者の皆さんの立場に立って考えれば、今回の答えがベターな答えであったと私は考えています。
これから参議院において議論がなされます。また様々な議論が出ると思います。大事な問題ですから、しっかり議論をする。しかし、この国会の会期中に必ず答えを出してもらいたい。そういう思いで、今日、この結果を私なりに総括させていただきたいと思います。
※ブログの動画版はこちら
僕は臓器移植法改正案のA案を出来れば修正せず、成立させてほしいのですが、このままでは成立が難しいのであれば、脳死状態の人に関してはふれずに次のように修正して法案成立を目指してほしいです、「臓器移植は0歳から可能・家族の同意があれば本人が生前に拒否しても移植可能」のこの2点で、素早く法案を成立させてほしいです。ある意味この2点を変えるだけでいいのではと思います、そして臓器移植のネットワークに関しても国として整備したらと思います。とにかく今国会で必ず成立させなければなりません、助かる命に救いの手を。
投稿情報: ふぁんた | 2009/06/19 13:00
死んでいるようには到底見えない我が子の心臓移植に同意できる親とはどんな人物なのでしょうか。
誰かの中で生き続けるなら、とどさくさの状況で思っても、後々後悔しているドナー遺族はいらっしゃいます。
ドナーを保護する規定のないA案は、光があたる人の影で、その100倍くらいの人数が不幸になる法律だと思います。
もっと丁寧に、12年前の脳死臨調を基準とせずに、第二次脳死臨調を開く慎重さが、絶対に必要だと思います。
人の生死に関わる問題です。 ベターな判断は到底賛成できません。オンリー、ベストな法律を作ってください。 それができるのは、国会にいらっしゃる方だけなのですから。
投稿情報: 水 | 2009/06/19 13:22
幹事長のお考えは十分理解できました。
でも参議院のこの方は、必ずしも幹事長が期待されるような、会期中にと言う考えはないようですね。
http://sankei.jp.msn.com/life/body/090618/bdy0906182310008-n1.htm
中傷と受け取られて掲載されなくとも構いませんが、読んで下さいまし。
投稿情報: 通りすがれなくて | 2009/06/19 13:58
私はA案に賛成できず、可決されたことを残念に思っております。
それは、脳死を一律に人の死とすることに納得できないこと、患者に対して医師の治療が十分に尽くされるのか不安感があるからです。
以上は私の意見ですが、いずれにしても参議院において徹底した議論が行われ、必要な修正がされるよう切に希望します。
投稿情報: 名古屋一市民 | 2009/06/19 21:51
臓器移植の問題は、「臓器移植報道の問題」であるとも言えます。
1万人の「中流市民」が声高に臓器の必要性をメディアで訴える。
しかし、年間自殺者3万人はメディアで訴えるチャンスもない。
さらに、1万臓器の1%は犯罪性の強い臓器摘出が行われると想定すれば、100人は殺害、又は、見殺しの犠牲になる。
そういう、意味では、天の与えた運命に欲得の人間が介入するという構図は慎重に取り扱われるべきだと思います。
****以下引用*****
November 26, 2006
臓器密売に移植医加担も ブラジル、表面化は一部 特集「世界の臓器売買」{5}
(共同通信社 10月6日)
ブラジルでも臓器の密売事件が後を絶たないが、表面化しているのは氷山の一角。
過去に、移植医が事件に加担したとされるケースも発覚し、市民の移植医への不信感は根強い。
連邦警察は2003年、経済発展が遅れた北東部を拠点に臓器の国際的な密売をしていたブラジル人とイスラエル人、ポーランド人の組織を摘発。
同組織は、1人当たり約1万ドル(約118万円)の謝礼で腎臓の提供者を募集。
過去2年間で、少なくとも38人の貧しい人々を南アフリカへ連れて行き、摘出手術を受けさせ、中東、欧州の患者に移植。患者からは、1人当たり12万ドルを受け取っていました。
ブラジルでは1986年、サンパウロ州の大学病院の医師グループが、家族には患者が脳死したと偽って臓器を摘出し、繰り返し密売組織に売っていたとされる事件が発覚。
...
http://oldballgame.way-nifty.com/jfumyk/2006/11/post_499e.html
******引用END*****
日本でも必ず、グレーの臓器取り扱いが行われます。
犯罪組織も関与するでしょう。
(銀行周辺に闇組織が跋扈するように、病院周辺に闇組織が跋扈する?)
医療全体の体制の質を高めずに、こういう問題ばかり議論し、国権で法制化するという流れに、やや危惧を感じます。
脳死判定は、裁判員に委ねるべきではないでしょうか。犯罪を防止するために。
投稿情報: 一国民 | 2009/06/20 11:46
はじめまして。
よろしくお願いします。
臓器移植についての考えは議員と全く同じです。参議院でも可決されることを強く望んでいます。
でも残念ながら、対案としてだされたものは、むしろ後退してしまうような、あるいは12年何を考えていたのか、と思わせるような内容です。A案も廃案の可能性すらあるようです。
国会議員の無作為が言われて久しいのに、まだ曖昧な議論をしようとしている方々には軽蔑さえ感じてしまいます。
どうか前向きな法律として成立することを切に願っています。
愛知県一宮市今伊勢町馬寄中坪18-6
小島清志
投稿情報: 小島清志 | 2009/06/25 14:24
岡田克也さま、
このブログの題名にもあるので、失礼な部分も承知で直球を投げさせていただきます。
貴殿は今後、まさに日本のリーダーになるかもしれない方です。私はこれまでも貴殿の誠意ある言葉と意見に注目してまいりました。しかし今回の件は、とても失望しています。
以下の質問にぜひお答えください。
1.どうして「基本的に脳死は人の死」とお思いなのですか。
2.A案は「脳死を一律に人の死とする」ことを基本的な考えとしており、その理由を「社会的合意が得られているから」委員会でも説明しています。一方で6月13-14日に実施された毎日新聞による世論調査では、「脳死を人の死と認めるべき」は28%にとどまっており、従来の移植法の通り「脳死を人の死とするのは臓器提供の意思を示している人に限る」という限定つきの認定が52%となっており、さらに「脳死を人の死とすべきではない」が9%もいる結果となりました。この世論調査で「脳死は人の死とする社会的合意ができている」というA案提案者の大前提は、まったく事実と異なることが明確になっていました。事実は国民の過半数が、「脳死を一律に死とすることは認めていない」として、A案の基本的な考え方に反対しているのです。それでもA案を支持するというのは、民意を大きく裏切った行為とみえますが、お考えをお聞かせください。
一国の首相になられるお方であれば、このご質問にご回答いただき、国民の生死の定義に関してのご主張を明確にして頂きたいと思います。
臓器移植は、人間社会の温かい連帯の証しのようなものです。臓器をもらうほうと渡すほうが必ずいるのです。脳死臓器移植の場合は、もらっている側の逆に必ず死にゆくものがいるのです。しかし彼らやその家族のことなどに思いをはせずに、テレビに出てくる「もらえなかった人」の映像ばかりが前面にでてくるなかで、世論が作られていくことに大きな危惧を感じます。
どんなに時間がかかろうと、検証するといったものを検証しないで、何もわからない議員が多いまま、「ちょと急がないと怒る人が多そうだがら採決しちゃえ」といった雰囲気は情けない限りです。
このままろくな審議もなく案が通っても、結局は国民の理解はなく、現場は混乱し、納得感のある移植プロセスの仕組みづくりもなく、移植推進派はそれでも「もっと臓器を取り出せ!」言うのが目に見えています。そしてさまざまなひどい、悲しい事件も起きるでしょう。今から予言しておきます。そしてその時は政治は役人や現場に責任をなすりつけるのでしょうね。
今回のA案の怖いところは、本人の承諾がなくても家族が承諾すれば脳死患者からの臓器が取り出せることになったことです。このことを「選択肢が増えたからいいじゃないか」ととらえる意見が散見されますが、「本人でない家族が、脳死患者の生死、提供するかどうかを決める権利」なんてそもそもないはずで、そんな人に選択肢は本来ないはずです。選択肢を持つべきはあくまでも臓器提供者本人のはずです。最近の日本でよく見られる「権利」の拡大解釈は、その多くの場合、本質的には、他の人の本来維持されるべき権利を侵しているということが多いと感じます。今の法律でも、本人の意思が明確で家族も拒否しなければ本人は脳死臓器提供ができることになっています。その権利を本人の権利・選択肢ではなく、他人の権利・選択肢に臆面もなく広げていることに危惧します。
このブログのコメントにもすでに今の段階から「本人が生前に拒否していても家族の承諾で移植可能にすべき」との意見がでており、戦慄を覚えました。「ほら、やっぱりもう出てきた。」「臓器欲しいよ!」の大合唱は人権などまるで無視して、さらにエスカレートする予感がしており、とても怖いです。「臓器欲しいよ。」「臓器をあげろよ!」の恐ろしい圧力が脳死患者とその家族に襲い掛かり始めているのをお感じになったと思います。
子供の体も人権も親のものではないです。親にそんな権利なんてそもそもないんです。なぜ臓器提供時だけそんな特権が急にでてくるのか不思議です。ここで考慮すべきは提供を待つ子供のことではありません。まさに命が止められ、臓器を取り出される子供に対する心配のほうがよほど大事です。
「温かい体をした脳死の子の動いている心臓を取り出す。そしてその手術中は、その子のことなんかもうどうでもよくて、奪い取った心臓の鮮度だけが心配される。その子は呼吸器を外され、息を詰まらせている間に、ママにもパパにも抱っこされずに、冷たい手術室の上で、冷たい刃先のメスだけが体に触っている状態で、そして心音が消滅したことを知らせる電子音とともに最期を迎える。そして、傷だらけの青白い冷たくなった体だけが家族のもとに帰ってくる。無事に終わりましたという意味のわからない言葉とともに。いったいなにが無事だったのだろうか。子供の魂は叫んでいただろう。ママ、パパ、寒いよ。さびしいよ、最後の時も抱っこもしてもらえないの..暗いよ。」 脳死の子供の臓器提供というはこういうものです。想像力を働かせ、テレビにでてこなくても、このような子供たちのことにも思いを寄せて欲しいのです。
子供たちが、なりたくもない脳死になって、さらにこんな悲しい、恐ろしい最後を向かることになるのに、それを親の承諾(それもほとんどが子どもの脳死はいきなりやってきて、親は大混乱のなかで、臓器の鮮度のためにせっつかれ、医学の専門用語もわからないまま、「誰かのためになる」「どこかで臓器が生きている」というお話に基づいて、提供を承諾してしまう)だけで、可能になる社会なんて、そっちが間違えていると思います。
本人の意思確認なしあるいは不明な臓器提供は、本人に対する人権侵害(本人の命は家族のためのものではない)であるだけでなく、さらに推測で家族が承諾し、臓器を奪い取ってから、あとで本人の拒否の文言などがでてきた時というような十分に起こりえることに関して、何も具体的な準備もされていません。きっと悲しい恐ろしい事件がいくつか出てから初めて動き出すんでしょうね。本人にも家族にも本当に恐ろしいことです。臓器移植というのは、本来は人間社会の温かい連帯のもとに生まれるものであり、相互に対する理解と提供者への敬意があって成り立つものと信じていますが、A案の提案者がこのような考えには立っておらず、「とにかく臓器を出せばいいんだよ、あとから問題がおきても知らないよ。あとは家族で解決してくれよな。」と言っているように思います。
こんなことが起きるのが普通になるA案は断固反対で阻止すべきです。
投稿情報: harupunipapa | 2009/07/05 03:35
『脳死は人の死ではありません』『本人の意思を無視した臓器提供はまちがっています』『病院に最新の救命救急治療設備を整えるとともに、臓器移植に代わる治療の開発が進むよう求めます』よろしくお願い申し上げます。
投稿情報: 藤崎 智早 | 2009/07/09 22:28
7/13のA案可決にもショックを受けております。
もともと脳死判定などを行うこと事態が死に至らしめる行為であり、殺人行為なのです。
脳死に近い状態を経験した人はわずかです。医療現場の実態も知らずして審議されたことに行政への不信感が大きくなりました。
人の生死に関わる重要な問題を討議している最中に居眠りしている議員!
不勉強で「A案可決」だけを人助けをしたように勘違いしている議員!
臓器移植が発展することは医学の進歩とは全く逆なのです!!
どうか、今からでもA案の見直しと生と死の狭間で頑張っている命が最後まで戦い抜ける医療現場を補償してほしいです。
投稿情報: 重度障害児の母 | 2009/07/13 15:06