土曜日(26日)に宮崎県に日帰りで行ってきました。早朝に出て、夜遅くに帰るというハードスケジュールでしたが、宮崎県の抱える3つの全国的な課題について、それぞれ現場を見て、関係者の皆さんのお話を聞くことが出来ました。
口蹄疫の問題は、宮崎県にとどまらず、日本全体に大変大きな影響を及ぼした事案だったと思います。私は、民主党高病原性鳥インフルエンザ対策本部の本部長を務めていますが、鳥インフルエンザについては、宮崎県が最も続けざまに起きています。
この2つについては、生産者の皆さんのご意見も聞かせていただきました。口蹄疫の問題は、生産者の皆さんを始め、宮崎県の皆さんに大変大きな傷跡を残していますから、これは国としてもしっかりと対応をしなければいけないと改めて感じました。
鳥インフルエンザも全国的な課題ですが、現行法では十分ではないことについて、しっかりと見直しが必要ではないかと考えられます。政府としては、家畜伝染病予防法(家伝法)の改正案を国会に提出するようにしています。
この中では、口蹄疫で問題になった、国と県との役割分担を明確にし、お互いが責任を押し付け合うということではなく、国のやるべきことと現場で県がやるべきことを明確にすること、そもそも、そういったウィルスが日本や畜産農家に入ってこないための措置や、早期発見・早期対処のための通報のあり方、そして、国の財政支援といった点について、家伝法の改正を行う方針が決まっています。
そして、党の中では、様々な現場の状況を踏まえて議論したことも盛り込まれることになっています。
いずれにして、こういった法的対応と合わせて、財政的にもそれをしっかり支えるための措置が、国にも求められていると思います。
もう1つの大きな問題は、火山の噴火の問題です。新燃岳(しんもえだけ)の噴火の問題は、先ほどの鳥インフルエンザや口蹄疫の問題もそうですが、なかなか個人では責任を負えない問題だと思います。
新燃岳の現場に行き、高原町の日高町長とともに被災した小学校や農業の現場などを見てきました。特にほうれん草畑を見る機会がありましたが、新たに農産物としてほうれん草に着目をして植えたところに、この噴火が起こり火山灰を被りました。
商品としては、売ろうとしてもとても売り物にならない。ほうれん草の根元に洗ってもとれないような灰が溜まっており、使い物にならないという現場を見てきました。
小学校の子どもたちが、いまはもういつ噴火が再度あるかわかりませんが、自分たちの小さな小学校に戻って、勉強を元気にしている姿が見られたことは幸いでした。
そして、阪神淡路大震災以来、全国各地からボランティアの方々が集まって、助け合いをしています。県内でも行っています。そういったことに、非常に力づけられました。
新しい若い河野知事の下で、県民がしっかりと協力しながら頑張っていただきたい。国としてもしっかり後押しをしなければならないということを、改めて感じたところです。
詳しくは、ホームページなどを見てください。
※宮崎県訪問の詳細は、党ホームページをご覧ください。
→ http://www.dpj.or.jp/news/?num=19803
http://www.dpj.or.jp/news/?num=19804
http://www.dpj.or.jp/news/?num=19805
http://www.dpj.or.jp/news/?num=19806
※ブログの動画版はこちら
高原町の日高町長さんが、「的確な災害の対応および補助事業の構築など政府のスピード感ある取り組みを心強くありがたく思っている」とおっしゃっていたのですね。岡田さんも政権与党の幹事長さんとして、政府のサポート役として訪問されて、ますます心強く思っていただけたのでは、、と期待させて頂きました。
こういう災害や、天候の問題などで、私達の生活の基盤になる大変に重要な産業を担ってくださっている方々が、一方的に苦しまれるのは、本来はあってはならないことだと思います。どうぞ、十分に直接の訪問とお話を聞かれる等も含めた支援を引き続きよろしくお願い致します、、。
ところで、ここ何十年も日本は、本当に多くの人たちが、それぞれの個別の単位で、かなり国から突き放された冷たい環境の中、頑張らされてきたものだなあ、とつくづく思います。それゆえか、アメリカ新大陸に移住した人たちに対して良く言うところの「自主独立の精神」のようなものが、意外にも日本人にも実は強いのかなあ、と最近思います。(ちょっと違うかもしれませんが、自分達だけで苦労している部分で言うならば、、?)
それで、個別に放っておかれて頑張らされることは、本当は非常に頑張らせられすぎなのに、もう身についてしまっているので、それは独立心があって立派なのですが、ちょこっと「放っておかれる慣れ」のようなものをしている部分もあるかもしれない、、とも思います。
子ども手当てなどに対する、反発のうちにも、どこか、いくらかは、そうした性質も影響していると思います。財源だとか言う以前に、なんだか、気分にそぐわない、、、という感覚が多くの人たちにあるのは、そういう「最後には結局自分がやらねばならない」という、切迫した中で生き続けている日本人ならではの自然な反応なのかもしれません。
けれど、そのように、それぞれが、ぎりぎりのところで頑張って生活をしながら耐えている人たちとは別次元にいそうな野党の党首の方などが、「施しのような、、」などと言うのは変な話だと思いますが。
投稿情報: レイ | 2011/03/03 17:48