6月4日(土)に被災地を訪れてきました。今回訪れたのは、宮城県の松島の離島である桂島と野々島です。その後、宮城県の内陸部の白石市や角田市、周辺の町の首長の皆さんに集まっていただき、意見交換をしてきました。
まず、離島ですが、津波の影響で家が流され、私の地元にも小さな規模のものがありますが、全体の周りの施設も含め、非常に大きな数千万円規模の海苔の製造機械が流され、壊れてしまったというお話でした。
現場を見ると、やはり住宅は跡形もなく流され、そういった機械があちこちに壊れたまま放置されているという状況です。
ただ、避難所である体育館を訪れ、被災された皆さんとお話をしていると、地域のつながりの強さを非常に感じます。離島の中で、もともと協力しながら寄り添って生きてこられた方々なので、体育館の中でも、同じように非常に濃い人間関係の中で生活をしておられます。食事も順番で作り、お互い励ましあいながらやっておられることがよくわかりました。
仮設住宅の建設が進み、間もなくできます。その後、個々に家を造るのではなく、一種の集合住宅にしてみんなで住むという構想もあるようです。ただし、松島は日本三景の1つですから、そのときに景観との関係で問題が出てきて、環境省との調整が必要になるとのことでした。
人々は生活していかなければいけないので、前の低い土地から高い土地へ、ある程度まとまった建物を建ててそこに住むと。そのことが、なるべく松島の景観に影響を及ぼさないようなやり方を、是非知恵を出してやっていただきたいと思います。
この被災者の方の中に、90歳のおばあちゃんがいました。このおばあちゃんは非常に元気な方で、私は「20代ですか」と冗談で言ったところ、「私はまだ10代ですよ」と言われ、参ってしまいました。そういった厳しい生活の中でも、ユーモアを忘れず人々の温かさや絆の強さを考えさせられた訪問でした。
仙台の内陸部には様々な問題があります。例えば、丸森町は福島県の飯館村の北にあたり、放射能の被害やその恐れにさらされています。福島県だけではなく、県境にある宮城県にも福島第1原発の影響が及んでいるということです。
仙台市や白石市で言われ、現場を見たのが、新興住宅地における地盤の問題です。つまり、建物が壊れたわけではなく、その下にある土台がひび割れしたり、動いたりしてしまっているのです。
近くに川があったり、もともと谷だったところを埋めていることが影響していると言われていますが、一種の液状化が起こっていたり、全体の土地が移動してしまったという中で、建物だけではなくて、その基になっている土台や土地そのものがおかしくなってしまっています。
これに対しては、被災者生活再建支援法は、建物が壊れた場合の支援ですから、対象には直接的にはなりません。こういった問題にどう対応していくかも課題として出てきています。
あるいは、文化財についてですが、白石市にはお城があり、ひび割れが生じてしまいました。その改修のための手続きが大変だというお話もありました。
私は、多様な被害があるので、ある程度まとまったお金を県や市町村に渡して、その範囲の中で、自分たちの創意工夫でやっていただくことがいいのではないかと、改めて思った次第です。
2次補正予算に向けて、そういったこともしっかり議論していかなければいけないと思います。
最後に、せっかく松島まで行ったので、船乗り場のすぐ近くに瑞巌寺がありますが、まったく時間がなく大変残念な思いをしました。瑞巌寺は今回、地震や津波の被害を受けずに無事でした。
少し街が再生されたところでもう一度訪れて、そして、地域や街の再生、瑞巌寺の参拝を是非実現したいなと思いました。
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岡田幹事長様
被災地へいらっしゃったこと、何よりです。
確かにお休みの日かも知れませんが、貴君の職責は何でしょうか。
自民党にも、民社党にも大義はまったく感じられません。
大連立にしても、稚拙であるべきではないとか、ここに来て言い訳が目立って来ました。
稚拙にならず、かつ、スピード感を持って、ことにあたるのが、この難局で国会議員である方々の使命では。これは、与党、野党を問わずです。
国会に、被災者の皆さんのご臨席を願ったらどうでしょうか。
投稿情報: 樋高 透 | 2011/06/07 20:55
地域のつながりがある方達は、こんな時心強くていらっしゃるでしょうね。
お食事を順番で作られるのも、何よりのことですね。「自分達でご飯を作って食べられることが、何よりもありがたいことだ」と、以前に、食料品のお店が復活して買出し中の方がしみじみとおっしゃっているのをテレビで見ました。
以前に自分が手の怪我をしてお料理が何週間もできなくなってしまったときに、治りかけてスーパーで食材を選んでいたら、なにやら再び自分で作れることが涙が出そうなくらい嬉しかったことがあったのを思い出して、そのお話について、「本当に、そうだろうなあ、、、」とつくづく思いました。
お料理だけでなく、避難所の方々がお掃除を生き生きとされて「何かができることが嬉しい」とおっしゃっているのも見ましたが、、、本当にこうしたことは、日常に近づくから、という理由だけでなく、それ自体、心にとって、とても大事な種類のことなんだなあ、、と思いました。
景観と集合住宅、、とても難しい問題ですね。集合住宅自体は、どうしても、大きい建物になる訳で、冷たい四角いだけの建物が美しい自然を見ている視界に入りこんでしまうのは、残念ですよね、、。
けれど、、そのままの景観を保持することはできなくなるにしても、ある種、新しい景色としての魅力を付加することは不可能ではないかもしれません、、、。もちろん、住人の方々が良いと思われた上でのことですが、、、。
というのは、集合住宅といえば、私の頭に真っ先に思い浮かぶのが、1930年に完成した世界初の公営集合住宅である、オーストリアの「カール・マルクス・ホーフ」という赤い建物で、これは実際見たことがあるのですが、非常に大きく、戸数も多いのですが、何か大地や肌合いのような暖かさも感じさせるデザインの建築で、自然と人との馴染みを強く感じさせる集合住宅の存在が可能であることを信じさせてくれたからです。
もちろん、日本の景色と馴染むためには、まったく違うタイプの建築にはなるでしょうし、失敗は許されないと思いますが、、コンペをして、住民の方の意見をなにより取り入れる、、ということで、住民の方が元気の出る復興がとげられたら、素敵だとも思います。
ちなみに、カール・マルクス・ホフは、住人の憩いと交流の場である中庭があったり、建物の中に託児所や病院、図書館や郵便局などの施設のある建物でもあります。
関東大震災後に建てられた同潤会アパートも居住者への細かい配慮が行き届いていたそうですが、、、こうした、人への思いのこもった建物というのは、自然と見た目も温かく、真の美しさをたたえているもののようですね!
それにしても、お話にあった方の、90歳にして、岡田さんのジョークに対してのその見事な切り返され方、、!日々のユーモアで鍛えていらっしゃるんでしょうか、頼もしく嬉しいお話でした!
投稿情報: レイ | 2011/06/09 00:45
被災地に行かれたことは評価しますが、今の政局にはいら立ちさえ感じます。仮設住宅に当選しても、金銭的理由から入居できない方が多数いるとか。なんとかすぐに打つ手はないのでしょうか?私たちの送った義捐金の分配はなされているのでしょうか?
投稿情報: れお | 2011/06/13 23:01
離島を視察されて来たそうですが、被災者の苦しみを理解したのだろうか、今の政治を見るとけっしてそのようには感じられる状況でないようです。
ひとつの提案ですが国会議員全員で被災居住地の「泥だし」や「瓦礫撤去」等のボランティアをやってきたらどうですか、視察より感謝されますよ。また、被災者がどんな苦しみの中にあるかもわかることでしょう。
それから、被災者は収入がなく一刻も早く義捐金が配分されること、待っていることもわかっていることでしょう。議員立法等の手段をとって、配分できる手立てをたてたらいいでしょう。そうしたことが出来ないのなら、一律に一ヶ月何十万と決め、被災者を救うべきで巣。
投稿情報: 山形武田 | 2011/06/14 17:52
政治家は』報道記者ではないので被災地の描写や感想は結構です。被災地の復興も含めた政治を早く進めてください。党内で使える力をフルに使うべきだ。排除の論理では一歩も進まない。
投稿情報: hiroko | 2011/06/22 09:44