今日は2月18日です。いまから20年前、平成2年の2月18日に私は衆議院議員として初当選しました。
この間、20年は本当にあっという間に時間が過ぎました。当時36歳だった私も、56歳になりました。
今日は2月18日です。いまから20年前、平成2年の2月18日に私は衆議院議員として初当選しました。
この間、20年は本当にあっという間に時間が過ぎました。当時36歳だった私も、56歳になりました。
このブログでも3月にご紹介したと思いますが、私が大学生時代、つまり18、19歳といった時代ですから、いまからほぼ40年前に下宿していた、山本さんという下宿屋のおばさんの話をしたと思います。病院にお見舞いに行ったというお話をさせていただきました。
あれから1年近く経つわけですが、たまたま日曜日にもう一度お見舞いに行こうという話を友人としていたところ、施設の側から、かなり状況が悪くなってきたので、出来ればお見舞いの日を改めてもらいたい、早めてもらいたいという連絡をいただきましたので、前日である土曜日の夜に慌ててタクシーでお見舞いに行きました。
今日は、画像でご覧頂いている方は、いつもとちょっと違うとお感じかもしれません。
いままでのカメラがやや古くなりましたので、新しいカメラに替えて、画 素数が4倍になりました。多少、いままでよりは見やすくなっているんじゃないかと思います。
さて、この週末、伊藤和也さんの追悼写真展に参加させていただきました。伊藤和也さんというのは、「ペシャワール会」の一員としてアフガニスタンで活動してこられ、不幸にもお亡くなりになった若者です。
今日は、内閣不信任案を出す、非常に記念すべき日でしたが、実は、7月14日は私の誕生日でもあったわけです。
私は、基本的にプレゼントはもらわないという方針でやってきていますが、今日、内閣不信任案を採決した本会議が終わったあと、京都の泉ケンタ議員に言われて、本会議場の隣の院内16控室に入りますと、そこに30人ぐらいの当選2~3回生の皆さんがいて、プレゼントを頂きました。
大変忙しい、バタバタしたなかですが、昨日ある人のお見舞いに行ってきました。
「ある人」というのは、山本さんとおっしゃる方で、私が大学に入って、教養学部の時代に2年間お世話になった下宿屋のおばさんです。教養学部のある駒場に比較的近いということもあって、5人ぐらいの学生がその下宿にお世話になっていました。
今週日曜日、民主党大会が開催されましたが、午後の3時からでしたので、午前中少し時間が空きました。前日は千葉でしたので、地元に戻るだけの時間はありませんでした。それで、党大会が開かれるまでの間、妻と一緒に都内を散歩して時間をつぶしました。
緑があるところがいいということで、田安門から北の丸公園を通り、そして、皇居の中に入って大手門から出てくるというコースで、緑の中を散策しました。
先日、地元で私の運転手を10年間やっていただいた田中正己さんがお亡くなりになりました。今日は、そのお話を少ししたいと思います。
昨日の本会議が終わったあと地元に戻り、今朝10時からの葬儀に出席をして、東京に戻ってきたところです。
1月2日の早朝に私の祖母が亡くなりました。
私の母親の母親ということで、昨年100歳の誕生日を迎えたところでした。大変高齢でしたし、しかも、ここ数年間は入退院を繰り返していましたので、いつかはこの日が来るだろうということは、覚悟はしていました。
そういう意味では、いよいよその日が来たということではあったのですが、しかし、私は子どもの頃から、10キロくらい離れた祖母の家に、1人で自転車に乗って、よく遊びに行ったということもあり、また、20年前に政治家になると決めたときには、一生懸命応援をしてもらったわけで、非常に感慨深いものがあります。
旧厚生省の山口剛彦元事務次官ご夫妻を殺害した犯人が自首しました。
この事件は極めて異常な事件だと思いますが、私は本当に単独犯なのかという気がしてなりません。果たして、単独犯で用意周到に準備ができたのか。
あるいは、人2人を短時間で殺害するということは、そう簡単なことではないと思いますが、あまりにもそれが短時間でなされたために、1人ですべてを行ったのかどうかということに疑問が残ります。
今日は訪中報告の第3弾、番外編として、お話をしたいと思います。
最終日、土曜日に広州から中部国際空港への便が午後だったものですから、午前中が空きまして、孫文の記念館に行く機会がありました。
これは広州市から2時間、往復4時間ぐらいかかったのですが、孫文の生まれ故郷に孫文の記念館、そして、孫文がアメリカから帰ってきて建てた家が当時のまま残されています。そこを訪ねることにしました。
韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が来日されました。いままでの小泉総理と盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の時代と変わって、日韓関係が新しい前向きな時代を迎えたことを十分に感じさせる訪日だったと思います。
私も李明博大統領とは、前々回(2006年11月)訪韓した折に、まだ候補者の段階、あるいは正式には候補者にも決まっていない段階でしたが、彼のオフィスでお会いをして、30分ほど意見交換をさせていただきました。
先週末12日土曜日に、大阪で山本孝史さん(参院議員)のお別れの会が開催されました。
山本さんは93年に日本新党で初当選され、そのときに私も知り合いました。以来、新進党、民主党と同じ党にいて活動してきましたし、私も当初は厚生関係が活動のメインでしたので、山本さんと一緒に勉強したり議論したりすることも多かったわけです。大変親しい、素晴らしい友人を亡くしたことは本当に残念です。
守屋前防衛事務次官の証人喚問が月曜日に行われました。
これ自体はどうしてこんな人が防衛省の事務方のトップをやっていたのか、しかも4年間もやっていたということですから、それは本人というより、それを引き立てる何らかの大きな力があったのだと思いますが、そういったことも含めて、これからしっかりと、さらに追及をしていかなければならないと思います。
瀬島龍三先生がお亡くなりになりました。
私としては、私が国会議員になる前から、30年近く前になると思いますが、瀬島先生の勉強会、若手の経済人や政治家、官僚などが出席をして、先生のお話を聞く会にずっと参加をさせていただき、ご指導を仰いでいた者として、大変残念に思います。ご冥福を心からお祈りしたいと思います。
今日の常任幹事会で、非常に残念なことですが、参議院の今回候補者になっている現職参議院議員である若林秀樹さんの公認辞退ということが了承されました。大変残念に思っています。
若林さんは、労働組合、電機連合からの候補者ですけれども、以前に外務省に出向して在アメリカ大使館で勤務した経験もある、大変な国際派であり、そして非常に優れた政治家でした。
今日、昨日亡くなった宮沢元総理大臣のご自宅を訪問し、宮沢さんにお別れを告げて参りました。
宮沢さんに関しては様々な思い出があります。1つは、ご自宅に久し振りにお伺いをして思い出したのですが、いまから16年か17年前だったと思います、宮沢さんが総理大臣の折に、私は当時自民党の若手議員の1人として、仲間の議員十数名とともに宮沢総理をご自宅にお尋ねして、政治改革を是非やってもらいたい、そういったことをお話しさせていただいたことを思い出します。
長崎市の伊藤市長が、卑劣な銃撃によってお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りしたいと思います。
今日は残念なお知らせをしなければいけません。
我が郷土の大先輩・山本幸雄先生がお亡くなりになりました。95歳でした。
山本先生は元々警察官僚で、当時日本のリーダーの1人だった河野一郎さんに非常に信頼されて、最終的には旧建設省の事務次官を務められたあと、衆議院議員に立候補されました。
鳥取県の片山知事が3選出馬をしないということを述べられたと報道されています。大変残念なことだと思います。
片山知事は、私が最も尊敬する知事です。2期8年間、鳥取県政をしっかりとリードしてこられました。
今日の衆議院本会議場において、民主党の北橋健治衆議院議員の辞職願が承認されました。
その行為自体はあっという間に終わってしまいましたが、私にとっては、いろいろな思いがあって、本当に感慨深い北橋さんの議員辞職願でした。
民主党最高顧問、政治改革推進本部長
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