格差拡大は大きな流れの中で生じている避けがたい現象だが、政治が果たすべき役割について真剣に議論し、実行していくべき
皆さんからご意見をいただきありがとうございます。
いただいたご意見は、お子さんを抱え、あるいはお仕事を失い、本当に苦しい生活の中で「格差社会」まさに実感しているという方、中国など安い賃金で労働者を雇える国々との競争を何とかすべきだという方、教育の機会均等が損なわれることが問題だという方など、様々でした。
一方で、いま言われている「格差」は所得に着目した偏った見方である、横並びの悪平等を目指すべきではないといった、違った視点からのご意見もありました。
まず、議論の前提として確認しておきたいことは、第1に、経済的な格差だけに着目して、人の幸せや不幸せをはかるべきではもちろんありません。所得は人生の一要素であり、所得と直結しない生き甲斐や人の評価があることは当然です。そういう意味で、一方的な基準を前提とした「勝ち組、負け組」という言葉は、私は好きではありません。
第2に、中国など途上国との競争が日本国内の所得格差に影響を与えていることは間違いのない事実ですが、これはグローバル化という世界的な流れの中で起きていることであり、その中で日本が競争していく以上、逃れることはできないというのが現実だと思います。
第3に、格差社会を是正することは、「結果の平等」という名の悪平等を目指すことではもちろんありません。努力や能力に見合った結果を得られることは大原則であり、頑張っても頑張らなくても同じ結果ということでは活力ある社会になりませんし、公正な社会でもありません。
その上で、「格差の拡大」という現実を目の前にして、政治としてできること、なすべきことは何なのか、そのことを、私をはじめとする政治の立場にいる者自身が改めて考える必要があると考え、問題提起をしました。小泉総理のように「格差拡大は確認されない」、「格差は悪いことではない」と開き直ることは、政治がその責任を果たしているとは到底言えません。
例えば、所得が人生のすべてではないとしても、日本社会の特長である「中間層の厚み」を維持し、「下流」とまで言われるような厳しい所得層を生み出さないようにすることは重要です。
このため、所得税や相続税の最高税率の見直しなどによって所得の再分配機能を強化する、公立小中学校の立て直しや奨学金制度の充実によって子どもたちに対する教育の機会の平等を保障する、あるいは、倒産・破産制度や失業者に対する雇用制度の見直しによって商売や仕事で失敗してももう一度やり直せる仕組みをつくる、といった取り組みが必要です。
また、グローバル化や働き方の多様化によって、パート、アルバイトや派遣社員が増えることは大きな流れであるとしても、社会保険の事業主負担のある正社員とそれがないパート、アルバイトや派遣社員という不均衡が、企業の雇用態度に偏った影響を与えているという実態は是正すべき課題です。
さらに、努力に見合った結果が基本であるとしても、努力をしても結果が出なかった人、あるいはチャンスを活かせなかった人たちにきちんと光が当たる政策や制度をつくっていくことも政治の仕事です。
いずれにせよ、「格差社会」が当面、大きな社会的な問題となり、かつその流れを変えることはそう簡単ではないという認識の下、引き続き、政治の果たすべき役割について皆さんとご一緒に考え、そして実行していきたいと思っています。
少なくとも昭和30年頃までは極端な格差社会であったように思います。ただ、今と違う点は一人ひとりが社会を構成する一員であるという潜在意識と、人としてのプライドが存在していたように思います。貧しくとも心まで貧しくなかった、ということは教育が行き届いていたからなのではないかと思います。自分ひとりが勝ち残れば他への配慮が欠けていても、人生に於いての成功者とみなす、今の社会での格差は歪んだものなのでしょう。一番に重要なことは長期的に見た教育そのもののあり方なのでしょう。健全な競争は人を磨くものであるはずです。
投稿情報: 海野 十衣 | 2006/06/21 19:54
前略
物事を考えるのがいやになりますよ。いいじゃないか、いいじゃないかと言って、自分をごまかし、本気で考えられないですよ。
一つめ、有名○○大学の出身の仲良しグループが酒を飲み交わして、もうけ話に花を咲かして大もうけをしているとは、!このグールに日銀も、政治家もいたとは!まだ噂の人いるのではないかと疑いたくなりますよ。すっきりした結末にならないからね。庶民は0金利時代をあえいでいるのですよ。100万円1年間、預けても、孫の小遣いにもなりませんよ。日銀内部から批判が出ないのはおかしい。永田メールのとき、自民党はあれほど騒いだのに、この度は沈黙に近い。おかしい。マスコミもだ。
二つめ、自民党の総裁争いだ。どして、毎晩毎晩、料亭の中でひそひそ話をしなければならないのですか。まさか、五〇〇円のラーメンを食べながらの話ではなかろう。公の建物の中にはりっぱな会議室もあるでしょう。そこで、将来の日本について話し合ってほしいものです。国家観を話し合い、そして、誰がふさわしいかを考えてほしい。つまり、いきなり料亭ですか。民主党が政権を取ったらこんなこと止めてくださいよ。
毎日のように痛ましい事件、事故が報じられています。社会だけでなく、一見何事もない家庭まで崩壊しているような気がしてなりません。
あまり、うまく表現できませんが、もうけ話や総裁選びなどを見たり、聞いたりしていると、意識のずれか、意識の格差か、よくわからないが、プレートが大きく動いているような気がします。
最後に、政府は格差が問題になり出したので、あわててニートを公務員に採用しよう。再チャレンジできる社会をつくろう。公務員削減を目指している自民党が言われいることは信用できません。
「ローマは一日にしてならず」と言われてきました。再チャレンジできる人は何パーセントですか。ニートは何人公務員に採用できるのですか。ラムネを飲んだときの一時の爽やかさ的なことを言ってごまかされたくないですよ。このようなごまかしをいさめるのは政治家の一つの仕事だと思います。マスコミはだめだ。大衆迎合だから、
話題性があるものしか、大きく取り上げてくれないからね。
話を元に戻すと、やっぱり教育ですよ。愛国心もいいですが、もっと大事なことは子どもにやる気を起こさせることですよ。戦後教育をだめにしたのは、すぐに組合が悪いからだという人がいます。確かに組合が悪い面がありました。それが全てではありません。一番悪いのは、偏差値教育だったと思います。教育に序列を、職業に序列をつけましたよ。むかし、ある職業の人を見たとき、勉強しなければあんな人になるのよ、という意味のコマーシャルを思い出しましたよ。
学校教育においては、最後は教師の資質ですよ。弁はたどたどしくてもよい、子どもの前で、自分を語れない人はだめだ。人間を語れるようにならなければだめだ。人間が人間を教育するのですから、!
政治家も同じだと思う。
今日はこれぐらいに、
投稿情報: 堂西孝賢 | 2006/06/21 22:04
児童虐待防止の市民活動をしています。
格差社会がもたらす暗黒の時代の前触れとして、秋田で起きた事件の容疑者をはじめ池田小事件の宅間被告や宮崎勤被告、小林薫被告のような怪物が現れてきていると感じます。
そこには経済的格差もさることながら、学歴や生い立ちをふまえ、社会の中での本当の意味で虐げられてきた弱者を周囲がないがしろにしてきた結果ではないかと思います。
すでに現在の格差社会においてあらゆる階層間と階層内で他人に対しての気遣いや心配りが欠けていると思います。
そのことは富裕層や勝ち組と呼ばれている人たちにとっても、必ずしも良いことだけではないと思います。
「世界的な・・」とか「グローバリズムの流れと云々・・」などのような問題も大事でしょうが、自分たちのような一般の人間にはあまりにも遠い世界の話で、実感としては感じられません。
ですが、社会を構成する最小単位である家庭というものに政治家の方々が、改めて今一度目を向けていただけないでしょうか?
自分たち市民は出来ることとして、機能不全家庭の中で行われている現実や、被虐待の真実を、多くの人に知っていただくことにより少しでもこのような悲劇的事件の抑止力になればとの思いで、実際にあった体験、立ち直りの体験などを冊子や本にまとめる活動をしています。
6年前に出版されて絶版となっている岡田ユキ著「みにくいあひるの子供たち」という本があります。
現在その本を復刻版として新たに出版する活動を行っています。
幼少期からずっと実の親に虐待を受け続け、また実の兄から性的虐待を受け、ついには親からの言葉で自殺未遂にいたる著者の真実の記録と、その思いが克明につづられている日本では貴重な事例です。
このような本を一般の方はもちろん、法律を作られる立場の方、行政に携わる多くの方に知っていただくことにより、悲劇的な事件が少しでもなくなればとの願いでたくさんの方がこの活動に係わっています。
上記重大事件に臨床心理接見として係わった東海女子大学大学院の長谷川教授を始めCAC副理事長の澤田和子氏の寄稿や数学者FELIX OWUSU氏による英語完全翻訳と初版原作をマンガにしたもの(そこには原画作家がこの作品を仕上げるという意味で著者のカウンセリングが長年の引きこもりから脱出するためのきっかけとなった実例)の多くの愛情が詰まっているのです。
もちろん政治家の方々は政治家でしか出来ない活動もあると思います。
しかし今現在私個人には政治の世界からの具体的な行動と結果が見えません。
8年連続で3万人以上が自殺し、未遂はその何十倍もある現実は、良い方向に向かっているとは言い難いからです。
ですので自分としてはこの国の子どもたちとその将来がとても心配になります。
サークルダルメシアン事務局長 垣内裕志
投稿情報: 垣内裕志 | 2006/06/22 20:20
初等教育段階から学習放棄や非行を重ね、経済力も教育力もない本能的な親と呼べぬ親が子を持つ時、その子を支援していくのが学校・地域・福祉関連機関だと思います。だから、家族単位への子育て支援をするよりも、ハコモノ政策ではなくソフト面での人的支援体制作りを政策に入れてほしいと思います。市町村合併で、議員が減ったにも関わらず議員給与を上げ、一方で、介護高齢者保育等は軒並み負担増かサービス削減になりました。郵便局集配も30キロ以上離れた中央からになると、業務に直接携わる人の過重労働が心配です。要は、汗して取り組む現場や支援を必要としている庶民への環境整備をお願いしたいのです。
投稿情報: 一庶民 | 2006/07/09 20:38
拝啓。
先日、石川県七尾市で開かれた先生の国政時局懇談会に出席させていただきました。農業に関してかなりエキセントリックな意見が年配の方より出されたようですが、内容はともかく地方の過疎地はあのような考え方が生じるほど過疎、農業に関して切実であり、地域の崩壊ではなく地域の消滅の危機感を抱いていると理解していただきたいおもいます。
さて、先日の懇談会では時間がなく(先ほどの意見が長かった為)伺えなかったのですが、先生(民主党)の基本的な考え方として年金、失業保険などに一定の税金を投入し、それらを基礎にして社会保障を設計、安定させるとのことだったと思います。将来的には安定した社会保障システムだとは思いますが、現在の医療環境、状況についてはどのようにお考えなのでしょうか。地方の(都市部でも)医療機関は一部を除いて医師不足、看護師不足、診療単価の低下等で存続の瀬戸際に立っている病院が多くあります。地域の病院は社会の、その地域インフラであり、病院のない地域は地域として存続できないに等しいと存じます。奈良、千葉で妊婦さんが病院をたらいまわしにされるという事態が報道されました。しかも、それは各地で頻発しているとの報道もあります。先の奈良県の事案では奈良県立医科大を批判する意見、報道もありましたが、奈良県立医科大のホームページを見る限り産婦人科医は「体を壊さなければよいが」と思える状況です。そういえば先生地元、三重県でも産婦人科医を確保するために五千万円の年俸を払うといった報道もあったと思います。正常な市場原理であれば病院や、医師が続々と誕生しているはずですが、現実には、救急医、小児科医、産婦人科医が減り、開業医は増えるが病院には医師を含め医療スタッフがいないという状況が発生しています。この点についても、医療は市場原理に馴染まない(一部)性格と存じます。保険証があっても提供できる機関がなければ医療を受けることはできません。これは皆保険制度そのもを否定することです。国民健康保険未納者の急増問題とあわせ、お答えいただければと存じます。カテゴリーとは少し外れていることは承知しておりますが、適当なカテゴリーがありませんのでこちらに書き込みさせていただきました。乱文お許しください。
敬具
追伸、代表時代と比べ少しお痩せになられたのではないでしょうか。ご自愛くださるよう、ますますのご活躍を期待しております。
投稿情報: 能登の田舎もん | 2007/09/15 18:29
本日(7/11)西葛西の駅前で岡田さんが選挙講演をされた後、握手をしていただいた者です。
その時に、「雇用問題をよろしくお願い!
」と一言言いえば良かったと後悔が残り、ここにコメントさせていただきます。
私の勤める団体の幹部は、天下りで2、3年勤めるだけで、年収は1000万近くです。
私はアルバイトの事務員ですが、フルタイム(9時~18時)で働いています。
事務員は正職員にさせないために、3年以上は働けない制度になっています。
しかし、10年以上前に正職員で採用された事務員が2名います。その職員は、毎日遅刻で、日中はパソコンゲームをして何もせず、アルバイトにお茶を入れてもらって、雑用を全部させるだけです。
やることと言えば、給与計算と、私に残業をさせないように(急がせて)見張ってから帰ります。
一般の事務員なのに、管理職のようです。たぶん定年までこうやって勤めるのでしょう。
アルバイトはフルタイム働いていても、日給制で、補償もありません。
職員は、月給制で盆暮れにボーナスがあり、有休はアルバイトの2倍、特別休暇・育児休暇など福利厚生もあります。
「正職員(社員)」というだけの理由です。能力はむしろ、イロイロな場所で経験と積んでいるアルバイトの方が優秀です。
昔、女性が腰掛と呼ばれて2.3年勤めて寿退社していた時代、会社は社員として貰っていました。
今は何年勤めても社員にはなれないのです。
私は、中年女性で子供がいません。
一度社員になったら、定年まで働けるのではなく、ちゃんと働く人をどんどん社員にする社会にしてほしいです。
投稿情報: 西葛西で一票 | 2009/07/11 23:46
格差社会という時に、野党政治家は、単なる自民党たたきの掛け声にしているようにしか聞こえません。 格差にもいろいろあるので、無くすべきもの、必要な格差もあるはずです。
教育の現場で、かけっこをやめさせるなど、頭がおかしいと思わざるを得ないこともあります。
日本の中だけで暮らしていたら、それもいいでしょうが、いまや世界の中で勝ち残らねばならない。
やるべきは、生活の高コスト体質をなくすことです。
税金も家も、公共料金も、競争入札が無かったり、天下り、中間マージン、ありとあらゆることが生活を高くしている。
食べるものさえ、とにかく高い。
台湾など、200円もあれば、昼食は事足りる。 しかし、月給が6万円くらいの人から、日本人をはるかにしのぐ多くの人まで一緒に暮らしている。
日本人とほとんど平均が変わらなくなってきているが、社会コストが少ないからか、いろんな階層の人がやっていけている。
ヨーロッパなどの政策などを聞くたびに、どうしてあのような、当たり前に国民のための政治ができないものかと、悲しくなる
投稿情報: YS | 2009/07/15 17:39
人がその持って生まれた能力を生かそうとして仕事に就くときに、採用側からすれば、その能力を何かの基準で評価し、選別して迎えるわけである。そこは、金銭による対価があり、競争により差が生じるのはしょうがないと言える。
しかし、社会全体からすれば、人は金融だけで暮らせないし、鉄鋼や自動車だけでも同様暮らせない。農業生産物や漁業の漁獲物がなければ生きていけない。
日本は経済発展を著しく行ってきて、外貨を蓄積し、個人も土地や株に投資した人も数多くいるだろうが、農地を別として土地だけでは何も生まれないし、投資も将来を見越したものでなければ、マネーゲームに終わってしまう。
バブル期に、大学を卒業して就職しようとするものは、競って金融関係に就こうとした。しかし、バブルが終わり、銀行に国から資金が回って、大手の銀行はつぶれずに残り、低金利政策のなかでも利益を伸ばし、社会の手助けを受けたにもかかわらず、今彼ら銀行員の収入は全産業の中で飛びぬけているのではないだろうか。
もし、彼らが本当に金融マンとして優秀ならば、それも良いとしよう。しかし、1回は失敗し、また今も、将来への投資を的確に行っているようには思えない行動をとっているようでは、社会に責任を負うべき金融マンではないと思う。米国に起きたバブルにもかかわりが全くないのかと言えばそれはNOである。また、企業の株主として多くの配当を受け取り、労働分配にまわるべき利益を自己のものとしてきた。
つまり、金融が社会の要であることを利用し、自らは生き残りを計るが、社会全体の利益よりも自己の利益を求める姿勢では、これを保護すべきと考える人はいなくなって当り前ではないか。
投資が行われるべき先には、それが適正に運用可能な資産となるものがなければならないはずが、金融資産というマネーゲームに踊らされる泡の中に、実体産業から生まれた富が消えてしまわないことを望む。
低金利の日本の金融原資が、金融のリターンだけを目的に、いたずらに外国へ流れることは、国力をそいでゆくことにならないか反省してもらいたい。日本が格差社会と言われる状況から抜け出すためには金融の社会責任が一番に求められていると思う。
投稿情報: 小島 充 | 2009/10/19 10:33
ある方に、「お母さん、三重県の志摩の田舎に住みながら良く、お一人の手で国立のいい大学に息子さん入れましたね、並じゃなかったでしょう?」と言われました。そう、並じゃなかったのです。職がなく、鳥羽や、伊勢、松阪まで出ないといけません。職があっても低額です。低額ゆえあるときは3つの仕事を掛け持ちしながらの生活でした。あと2人高校生を抱えてますが、もう全財産を長男に使い東京の体育大学志望の3男をどうやって大学にやるか心を悩ませてます。しかし、母子家庭が、大学をあきらめたくない。私ががんばれば、経済的に高校、大学をあきらめたこの地域の人たちに何か私が出来るかもと思って、がんばってます。格差と戦ってます。
投稿情報: こほり かずみ | 2010/10/31 12:56
世界的に見れば日本は格差が無いに等しい国ではないでしょうか。
逆に財政悪化の状況下で、過保護的ですらあるのではないかと感じます。
投稿情報: 田中健太郎 | 2010/11/25 23:35