長く議論してきた補正予算の審議は、11月15日に採決ということで合意に至りました。
もちろん、まだ何が起こるかわかりません。気を許すことはできませんが、見通しが1つ立ったということを本当に嬉しく思っています。
補正予算は国民生活に直結するため、この厳しい経済状況の中で、1日も早く実施をする必要があるという思いで、真剣に取り組んできました。今回与野党で合意に至ったことは、本当に良かったと思います。
この補正予算の審議は、与野党逆転の「ねじれ」の中で行われました。したがって、我々としても(野党に)かなり耳を傾け、譲歩を重ねながら審議に応じてきました。
例えば、(尖閣諸島沖の中国漁船衝突の)ビデオの公開の問題や予算委員会の集中審議をテレビ入りで行うなど、野党の要求をかなり飲み込む形で進めてきました。
現場の中井洽予算委員長や、筆頭理事の中川正春さん――なぜか、2人とも私と同じ三重県の出身ですが――を始め、関係者の皆さんの努力と忍耐に、心からお礼を申し上げたいと思います。
そして、野党の皆さんも、質問も率直に言っていろいろだったと思います。非常にいい質問やなかなか鋭い質問もあり、閣僚とのやり取りも見応えがある場面もありました。
残念だったのは、質問の中身というよりは、言葉の荒さで攻撃するというスタイルを取る質問者の方もいて、これはテレビを見ておられた方にはわかってしまいますが、問題は、表現や言葉を荒く言うかどうかではなく、中身の問題で、内容があるかどうかだと思います。
これは、質問をするほうも答えるほうも、心して誠意ある質問や答弁をしっかりと準備して行うことが重要だと思います。
閣僚の皆さんには、相当無理を言いました。連日の長い審議で、恐らく閣僚の多くは、朝5時や6時から準備のレクを受けて国会に出る。国会が終わると、大臣としての本来の仕事を、夜やるという方がほとんどだと思います。私も外務大臣のときに同じ経験をしてきました。
こういった国会のあり方についても、例えば、直接関係のない大臣は予算委員会に出席しなくてもいいとか、場合によっては副大臣が大臣に代わって答弁することを認めるとか、お互いいつ与党になり野党になるかわかりませんので、もう少し率直な意見があってもいいかなと思った次第です。
いずれにしても、関係者の皆さんの今日までの努力に対して、幹事長として感謝したいと思います。ありがとうございました。
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おつかれさまです。
岡田さんの言う通り、質問や答弁は
言葉の荒さではなく内容が重要ですよね。
今回は特に仙谷官房長官の発言は
大変不愉快に思いました。
政治家として言葉は慎重に発言してもらいたいものです。
今回の補正予算で日本をしっかり潤すような経済状況が見られればいいなと思います。
期待していますので頑張ってください。
投稿情報: さくら | 2010/11/13 00:00
岡田先生。補正予算案の成立、おめでとうございます。幹事長としての陰の御苦労も多かったのではないでしょうか?本当にご苦労様でした。私は田舎に住む者ですが地方の経済的疲弊は相当なものがあります。今回の補正予算案の内容については審らかにしませんが今後とも是非地方経済の自立発展という視野からの政策立案を御願いしたいと思います。ひとまずご苦労様で御座いました。敬具。
投稿情報: 西川くん | 2010/11/13 04:07
まだまだこれからではありますが、一区切りついて良かったです。国民のために与野党が力を合わせて頑張ってくれるのは、ホントに嬉しい♪
まだ、非協力的で足を引っ張ろうとする人もいるようですが、以前と比べたら、だいぶ減ってきたようですね。だからこそ目立つのかも。あんな発言、自分に悪影響なのに・・・。ああいうことを言っている政治家さんを、誰も支持したいとは思わないですよね。もうちょっと考えて欲しいです。
あと、小泉Jrさん、ここで書くべきではない事かもですが・・・。
目上に対する話し方を勉強された方がいい気がします。議論聞いててまぁイラついた事!!
「なぜ上から目線???」と突っ込みたくなってしまいました。教育がなっとらん!!笑
投稿情報: いいちこ | 2010/11/13 12:28
補正予算案の衆院通過、おめでとうございます!
野党の皆さん、「合意する」と言っておいて、結構ネバるんですね。牛歩はなかったですが。
国会は、粘り強くて気が長くてタフな人たちの集まりなんですね…凄すぎます…
投稿情報: 淳子 | 2010/11/16 22:45
岡田幹事長の、色々と頑張られたご様子とその素敵な結果が良く伝わってくるブログの内容でした!
今日、久々に十分時間が出来て、国会を見始めました。それと平行して、このコメントを書き始めていたのですが、しかし、一時間で、国会を見ていられなくなり、テレビを消してしまいました!せっかく張り切って見始めたのですが、耐性が前よりはついたつもりでしたが、野党のあまりと言えばあまりの執拗な細かい攻撃に、なんだかもう、閣僚の方々の苦痛を思うと耐えられませんでした、、、。
こうした質疑の様子について、政府を野党がただただ攻撃しようとする為であると私が考えていたのを、少し修正して改めようとしているコメントを書いていた途中だったのに、この始末でした!しかし、もともと書き始めていた内容を、続けて書きます。
政権交代後、政治に興味を持つようになって、一年前に初めて国会をまじまじ見るようになってから、政府・与党と野党の間の、ある基本的認識のギャップについて、ずっと考え続けてきました。
「基本的認識のギャップ」とは、お互いの立っている平面が異なっていることから生じるものだと思います。空間上の二つの異なる平面は、平行でなければ一本の直線で交わりますが、この直線は、この場合は、極めて客観的な事実のみで、平面上のその他の膨大な部分は、全く交わることのない、別世界になっています。空気の組成も違えば、見えている景色、時間の流れも違う。そうした異なる別々の2平面上に、政府・与党と、野党がそれぞれ乗っているというイメージです。
そして、そのようにお互いに斜めに傾いた平面に乗っている、距離もある状態で、お互いを眺める・お互いの発言を聞く。すると、まるで、同じ平面上にいる時に見・聞きするときとは、全く違ったものに認識されます。ある一つの角度を成している平面間の空気の厚みもあり、さらに平面表層の空気の色の違いもあることにより、平面A上では青い色に見えているものも平面B上から見ると、紫色に見えてしまう。または、形で言えば、空気の層がレンズのようになって、歪んで見える。音も、全てが珍妙な響きをまとって聞こえてくる。
そして問題なのは、そのようにお互いが異なる平面上にいながら、お互い、同じ平面上にいると思っている。
それだから、お互いがやったり、言ったりしていることが、まるで異常な状態に見え・聞こえていることに、驚きを覚え、そして強い反応を示すか、または拒絶感を覚える、、、ということになるのではないかと思いました。
ですから、私は政府・与党の側の平面状にいるので、、、つい普通に、構えずに、たった今国会中継を見始めてしまったところ、野党の人の閣僚を攻撃する様子が、おどろおどろしい妖怪じみた相貌を呈して見え、攻撃されている閣僚の方は、意味の通る言葉で答えているにも関わらず、不当にも発する言葉や手足を次々と斧で攻撃されて、何を言おうとも痛い目に合わされるという、非人道的な暴力の被害者のように見えてしまったので、テレビを消して退散してしまった訳です。
しかし、この野党の人の乗っている平面上に自分自身も立っていると、まるでまた違った風に感じられるだろう、、ということが、今では分かっています。想像力をフルに用いれば、、、その野党の人は、今度はその平面上では勇敢な輝ける正義と道理の騎士となり、国民の為に、なにやら逃げに満ちた意味のない言葉ばかりを発する閣僚をとっちめることに全力を挙げているにすぎないことになっているのです。
このことで重要なのは、そういう野党側の平面上に、逆の平面にいる人たちが、自らも乗っている状態になることを、克明に想像してみることだと思います。
私は政府・与党側の平面に乗っているので、本当は、野党の人たちにこそ、こちらの同じ平面上に乗ってもらうにはどうすべきか、、ということをいつも考えてはいるのですが、それが難題だと思われるのは、彼らはこちらの平面上の、自分たち側から見たら歪んで見える景色を、不快に思いつつも、その不快が自身の身体を死に至らしめるほどには重症でも深刻でもないので、その不快の元に対し、攻撃一辺倒をしていることで良しとしているところがあるでしょうから、その立場を変えることに心も体もなかなか動かしてはくださらないと思えるからです。
(国民生活の困窮を、自分自身のものと完全に一致する程度にまで心配してくれていれば、また違ってくるとは思われますが・・今、飛行機が墜落している最中に、自分達だけは安全なパラシュートを身に付けた人たちが、パラシュートもなく落下していく人たちの傍らで、飛行機の安全性の問題について文句の電話をしている様子に似ています。)
そうなると、今の国会の仕組み上、攻撃される一方である、政府や与党の人たちだけでも、相手側の平面上に立ってみる想像をして、正確に、野党側の言葉を完全に理解してみることを一度試みてみるのはいかがでしょう、、。
そうすることによって得られる結果のうち、一番重要なのは、、彼らが自分達の党の有利になるように、悪魔になったような気分で攻撃をしているのではなく、彼らとしては「本気で国を案じている」のだ、、と認識することにあると思います。
私は以前、何度か、ただただ、「自分達の党の為に攻撃している野党の人たち」という書き方をしたか、内容のことをこのブログのコメントに書いてきましたが、時々、「あ、それも違ったかな」と思うことがそれ以前にもあったことを思い出し、またそれ以後にもそのように時々感じることがありました。
そして、「本気で言っているんだな、、」ということを理解すれば、答弁も、野党側の求めるものを正確に返すことが可能となり、議論がより建設的な形をとることになると思うのです。
そして、あの、独特の野党の嫌な感じの物言いの攻撃のもとは何か、、、についても、同じ野党側の平面上に乗っていることを想像すると、少し分かってくる部分も出てきました。
例えば、野党の人たちは良く、「それは、いつまでに行われるのですか。いつ、行われるのですか」という、『いついつ質問』をします。そして、それに対する「なぜそんなことを怒りながら聞くのかな?ちゃんと普通に問題なくやってるんだけどな・・・」という風な政府側の当然と言えば当然の反応に思える『ぼんやり不思議顔』があります。
これも、野党の人たちが、政府・与党から隔離された違う平面上で、殆ど我々一般国民と同程度の情報しか与えられず無知なままで、それでいながら仕事ですから日々そうした問題について考えていると、なにより直接事案に携わっている人たちよりも時間がゆっくりと流れて感じられるので、政府の対応が遅く思えるのでしょうし、何か自分たちは一応関係者でいながら、不当にも蚊帳の外に放って置かれているような不安感を覚えているので、手がかり・証拠として、少なくとも客観的にこれ以上確かなものはない、「時間」を持ち出すのだろう、、と思えました。しかもそうした、ギリギリの手がかりでさえ、キチンと閣僚が答えてくれなければ、なんと情けない頼りない心地がするだろう、、、という先取りの不安感のあまり、構えて怒った様な態度になるのだ、、と理解することができました。
(・・・また今テレビをつけてみましたが・・)そう言いつつも、『いついつ質問』と並んで目立つ『このことについて、定義・知っていることを言ってください質問&全然分かってないじゃないですか発言&こんなことで、大臣をやっているとは問題だ攻撃』なんかは、この日それについて準備が整っていない閣僚の人たちには分がやや悪すぎるとも言え、ただの意地悪にしか見えてきません、、。それでは、また、野党側の平面上に乗る想像をしてみます!
・・・・ほうほう、うーん、なるほど、この質疑をしている人は、確かに不安なのですね、この人にとっては、この程度の知識を自分のものと同じくらい大臣が持っていないのは、信じがたいことであり、ぜひぜひ、この知識程度を、大臣の方にも持ってもらいたい、、、そしてこの知識自体を、今この時、覚えて念頭に置いてもらいたい、、、という切なる願いがあって、また、『絶対に覚えてますよ』という大臣の返答は通常ない為に、あまりにも保証がないため、乱暴でも、意地悪でも印象を強くして記憶に残してもらおう、、、という形をとってしまう訳ですね、痛い記憶は、確かに残りますし、、、。
なるほど、分かりました!
いや~、こう考えると、閣僚の人たちのすべきことも分かってきますね、この場合は、意地悪な言い方は、「大人シールド」で完全に許して差し上げて、なかったことにして、「大丈夫です、完全に今のことはノートにとってありますし、~月~日に、~会議で話し合いますよ!」という保証をすればいいのではないでしょうか。勿論、内容に納得が行く場合ですが、、。
また、先ほども挙げた、『いついつ質問』や、『全然そうとは思えないんですけど、ちゃんとやってるんですか質問』の場合などは、それを翻訳すると、「全く情報が伝わっていないので、申し訳ないですけど、政府の活動内容の情報量を3倍以上にして、ものすごく丁寧に細かく教えてもらえませんか」という意味と考えるべきかもしれません。そして、そういうときに、本当に細かく発信できる部分はできるだけ発信したり、または「詳しく、後ほどにでも、確かに情報を絶対にお伝えします。足りなければ、また聞いてくださいね」という風に普通にお答えされれば、実は納得して頂ける種類のものなのではないでしょうか。
(私は、中国漁船の問題についても、いくらかこうした説明の追加によって何かが変わる部分があると思います・・。例えば、事件直前の、日中の間の良好な関係の構築の過程を、もう一度、正確に教えて差し上げることです。私自身は、ああいう過程を、特に外務大臣の岡田さんの活動を注視していたことにより、詳しく知っていたからこそ、政府のこの件に対するやり方には、疑問を全く持っていません。ああいう過程がある時に、こんな事件が起きた場合、国際的にも歴史的にも恥ずかしくない動きであったと私自身は考えています。しかし、そのことを知らなかったとしたら、、他の国民の対応のようになっているかもしれません。)
私の以上に書いていることは、「政府・与党と、野党の間の、基本的認識のギャップ」について、と冒頭に書きましたが、「知識と認識の共有」の問題とも言い換えられると思います。6月17日のブログのコメントでも似たようなことを書かせて頂きましたが、なにより、知識をもう少し与野党間で共有していていただきたい、、と思います。
野党の人たちのことはとりあえず動かせない、、と前述しましたが、本当は、やはり次に述べることが一番重要なことだと私は思います。それは、「知識・認識」、、というものの中で、最も国会で重要だと私が思い続けていた、『実質「現場で」働いている人たちというのは、はたから見ていて分からない・または言えない色々な問題を抱えているのだ』という究極の事実を、政府以外の与野党の人たちが共有することです!
このことを、ともかく特に野党の人たちが理解することによって、本当にひょっとしたらそれだけで、国会出席者の方々全員が同一平面上に乗ることも可能なのでは、、、と思うほど議論がまともに行われることになると思うのです、、、、。
それには、やはり、細かい知識を野党側にも、出来うる限り共有できるように発信していき、また野党側からも受信することを保証することが重要だと思います。
それによって、勿論その知識自体も共有できますし、信頼感もその過程で生じ、政府の側のいろいろ動いている感じ、、、というのも伝わるのではないでしょうか。
なにより、そもそも「信頼感」という一点の共有ができさえすれば、二つの異なる平面は、同一平面となることができるのだと思います。そしてその上で、議論を進めて頂ければ、国民もその平面上にそのまま乗っていると感じるような、どんなにか充実した、国民生活の実質と一致した正しい答えが次々に導き出されていく、素晴らしい国会になるだろう、、、と思いました。そうなったら、夢みたいですね~!!
投稿情報: レイ | 2010/11/18 15:45