今日は政策の話を2点申し上げたいと思います。
1つは、イラク戦争についてです。アメリカのイラク政策についての研究レポートがまとまりました。
ラムズフェルド国防長官も更迭され、さすがのブッシュ政権もいままでの政策の誤りについて、ある程度それを認め、政策の転換を模索し始めたと思っています。
そしてそのことは、ある意味でアメリカの民主主義が健全であることを示していると思います。
もちろん、遅すぎた嫌いはありますが、しかし、大きな転換点にあるということをアメリカ政府の対応は感じさせるものです。
それに対して、日本はどうでしょうか。
小泉総理はイラク戦争が始まったときに、明らかにそれを支持すると明言されました。
私は、「“支持”とまで言う必要はなかった、せめて“理解する”という従来の言い方でとどめておくべきだった」と国会で申し上げましたが、総理は「いや、支持したことは正しい」と言われました。
安倍さんも同じように、総理になってから、「支持したことは当時としては正しい判断だった」と是認されました。
やはり、間違ったことは間違った、あそこで“支持する”と言う必要はなかったし、そして、その後のイラク政策についても問題があったということをきちんと検証し、誤りは誤りとして認められたほうがいいと思います。
久間防衛庁長官が「あれは小泉総理の個人的なコメントである」という言い方をしていますが、もちろんこれは間違い。政治的コメントで総理に個人的コメントがあるはずがありませんし、閣議決定もされて、国会でも何回も答弁されていることです。
間違いは間違いとして、きちんと認めるべきだと思います。
岡田先生 毎日ご苦労様です。
今日、10日、朝早く目が覚めたので、TVをつけたら、岡田先生がTV討論を放送していたので、ねぼけた頭で観させて頂いていました。小泉元総理の“イラク政策の支持”は当時は“湾岸戦争の反省”とかもあって、やむを得ない部分もあったと思います。それに北朝鮮の拉致問題や極東の安全保障を米国頼りにしている以上は仕方がないのだろうと理解しております。米国の世論は“健全”と言えば健全なんでしょうが、余りに節操がなさすぎるような気がします。イラク政策にしても“上手く行っているときは支持率が上がり”、ネオコンの意見に賛成していたのではないでしょうか? 長引くイラクの権限委譲問題に米国民がイヤケ(犠牲者=米国の若者もどんどん増えている)をさしている。そして大量破壊兵器は見つからなくて、英国なんかはでっち上げ情報だったなんてあとから騒いでいますよね。わたしが引っかかるのは、やはり“大国の論理”で、介入(実質戦争)するだけして、政権の完全な受け皿が出来ていないいちに、本国政府の政治状況が変わったからといって「もう知らない」って投げ出して良いのかという事です、岡田先生の仰るように、「間違いは間違いとして」認めることは重要ですが、それではこれからイラクがどうなってくのか心配な気がします。彼らにとっては机上の問題ではなく、実生活のオ問題です、ひょっとしたらイランとの関わりが深くなり、ますます中東情勢が混沌とするかもしれません。なんと言っても中東は石油と言う世界の生命線を握っています。もっと国益を考えた政策を真剣に考えて欲しいです。わたしは浅学非才ですし、情報もマスコミからくらいしか得られていませんので、それ以上のことはわかりませんが、岡田さんのような真摯な人が、今こそ国民に向かって強いメッセージを送って欲しいです。
投稿情報: 阿頼王 | 2006/12/10 06:43
小泉前首相のイラク戦争支持発言。前首相はなぜ、日本の将来に不利益な条件を突きつけるような発言を繰り返したのだろうか。
立場上日本は、国益のために持つべき対外的な歴史認識には相当に敏感な姿勢をとらねばならない。対アジア外交においても、今後信頼関係を再構築していくには、日本自身が、近隣諸国へ繊細に配慮する歴史認識を土台に据えておく必要があると思う。
勿論アジアだけにとどまる話ではないのである。
イラク戦争についても、当時から日本としての認識の土台を正しておく必要があった。
そして言うまでもなく重要な日米関係についてだが、対アジアへのものとは関係の方向性が真逆ともいえる、米国への日本側の歴史認識のあり方は、将来においてもまさに命綱だ。
ここでイラク戦争に対する日本の姿勢が問題視されてくるものである。前首相の「支持します」の連呼はまずかった。表現も強すぎた。しかも未だに戦争の根拠が提示されず、「支持」の意味が謎のままとなった。万が一にでも、根拠無しに何か別の理由があったのだとしたら尚更、戦争という大量殺傷に加担した日本の責任は重い。
よってこの「支持」発言は、イラク戦争への認識の修正をのちに確実に要してしまう結果となったし、またそれ以上に重要なのが、常から抱えている日米同盟の軌道修正という課題の中において、基地問題をはじめのちに大きな負担を強いられる事になるであろう、という意味において重い失言だったと私は捉えている。
戦後、日米同盟を基軸としながらも存在感や個性を無難に包み隠してきた日本が、(よりにもよってと言おうか)ブッシュ政権時にだけ強烈にわかりやすい支持を示したのが不自然だったとも思う。前首相の声高すぎたイラク戦争支持発言により、かねてより日本にとって最も大切である親米外交のあり方についても、認識を修正していく上での障害が生じてしまったのである。元も子もないとはこのことなのだろうか。
とにかく歴史認識の修正には時間が経つにつれて、より膨大な労力と困難を伴う。早期的に取り組まれるほうがまだよいと思う。
そして何より、イラク特措法ではなく、「米国製の戦後日本国憲法」を堂々と掲げ、その範囲内でいつも通りに対応、というわけにはいかなかったのだろうかとさえ私は思う。なぜなら、イラク特措法が一過性に設えられただけのような法律となり、その後の日本の安全保障面を良い方向に展開させていくよう影響を与えるどころか、つまらぬ矛盾を設定しただけの結果に終わってしまったからである。
投稿情報: 小原 | 2006/12/17 22:12
私は「特措法=一過性」なことを否定したいのではなく、
イラク特措法が、あまりにも米国への方向だけに配慮した場当たり的な法律だとしか見えず、そのため、日本の安全保障面における前後関係やあとさきの運び方を全く考えずに、まともな定義づけや議論がなされなかったのが問題だ、という視点からの意見です。
もちろん、イラク特措法のような概念が常態化することの方が問題だと思っています。
私の昨日の書き方では誤解を生んでしまう可能性があると思い、でも主旨はご理解いただけたかという思いもしたのですが、補足の意味でここへ再び投稿させていただきます。大変失礼を致します。
投稿情報: 小原 | 2006/12/18 22:58