先週(12月18日~23日)、アメリカに行ってきました。
まず、18、19日の2日間、サンフランシスコに行き、シリコンバレーを回ってきました。これは、日本にいる米国のルース大使から、かねがね一度シリコンバレーを見ないかと言われていて、そのお誘いに乗る形で訪問しました。
ルース大使は、大使になる前にまさしくシリコンバレーの様々な企業、グーグルやフェイスブックも含めた企業と早い段階でコンタクトを取り、そういった企業を育て上げる弁護士事務所の共同経営者でした。
先週(12月18日~23日)、アメリカに行ってきました。
まず、18、19日の2日間、サンフランシスコに行き、シリコンバレーを回ってきました。これは、日本にいる米国のルース大使から、かねがね一度シリコンバレーを見ないかと言われていて、そのお誘いに乗る形で訪問しました。
ルース大使は、大使になる前にまさしくシリコンバレーの様々な企業、グーグルやフェイスブックも含めた企業と早い段階でコンタクトを取り、そういった企業を育て上げる弁護士事務所の共同経営者でした。
TPP(環太平洋パートナーシップ協定)をめぐる党の経済連携PT(プロジェクトチーム)の提言が、鉢呂座長のもとでようやくまとまりました。
長い総会における平場(PT総会)での議論、そしてPT役員会での議論を通じて、いったんは一昨日(8日)の役員会で全員一致の意見をまとめたのですが、昨日(9日)総会にかけたところ、さらに様々な意見が出て、最終的に役員会でもう一度文章の打ち直しを行って、総会で決まったものです。
一昨日(26日)、ドイツのヴルフ大統領とともに、私の地元の三重県四日市市の化学工場を視察しました。ヴルフ大統領は、日独交流150周年、つまり、日本と当時のプロイセンが国交を開いて150周年の記念事業のハイライトとして日本に来られ、1週間の滞在です。
被災地を訪問され、被災者の皆さんを励まされたりして多忙な中で、四日市を訪問されました。なぜ四日市なのかというと、そこにドイツの「エボニック社」が200億円を投じて新しいプラントを造ったからで、それを見に来ていただきました。
沖縄返還交渉にあたって密約があり、この密約は、外務省で私が調査を命じた4つの問題ではなくて、交渉にあたって一定の負担を日本国政府が行うという別の密約もあるということに関して、訴訟が行われています。
元毎日新聞西山さんや、著名な文化人の皆さんが中心になって訴訟をされていますが、第1審で外務省及び財務省に対して、「文書があるはずだからそれを開示しろ」という判決が出ました。私が外務大臣のときです。
月曜日、火曜日(26、27日)と衆議院予算委員会があり、いま終わったところです。1日7時間ずっと座り続けているのは、なかなか厳しいものがあります。
今回、新しい野田政権になっての1対1の予算委員会でした。全体として無難に乗り越えたと思います。若干ハッとする場面もなかったわけではありませんが、各閣僚も冷静にしっかりと答弁をされていたと思います。
前回に引き続き、ドイツの話を少ししたいと思います。
今回の訪独は、ヴルフ大統領からのお誘いがあってということは申し上げました。訪独中には、大統領公邸で朝食をともにしながら、1時間ほど2人で話をすることができました。ヴルフ大統領と会うのは今回が4回目でしたので、随分打ち解けた会話になりました。
特に、大統領は近く日本を訪問される予定があります。今年は日独交流150周年という記念の年であり、日本でもドイツ関連のいろいろな催物があり、ドイツでも同様に日本の紹介などいろいろなことがなされています。私がドイツへ行った際にも、浮世絵の葛飾北斎展が開催されていました。
週末を利用してドイツへ行ってきました。木曜日(8日)の朝に日本を発って日曜日(11日)の午後に戻るという慌ただしい旅でしたが、大変収穫がありました。
今回の旅では、ドイツのヴルフ大統領が関係するケルバー財団主催のベルゲドルフ・ラウンドテーブルの50周年ということで、「世界新秩序の中の欧州とアジア:新しいアジアの勃興」というテーマで議論するので参加してほしいと言われ、参加してきました。
6月3日にアメリカ議会上院のダニエル・イノウエ議員と奥様のアイリーンさんと朝食をともにしながら、1時間ほどお話をしました。
普天間の米軍基地移設の話や、被災地に行かれたときの話など話題は非常に豊富でしたが、プライベートな話もいろいろする機会があり、大変興味深く思いました。
懸案事項であった日韓図書協定が、ようやく参議院で承認されました。これは、日本が朝鮮半島を植民地支配していた時代に、朝鮮総督府にあった「朝鮮王室儀軌(ぎき)」など、戦後日本に移管された1205冊の図書について、今回韓国に引き渡すこととなりました。
経緯を言いますと、朝鮮総督府にあったものが、戦後宮内庁に移されました。韓国政府は従来からその返還を求めていましたが、民主党政権ができてから、「返還」ではなく「引き渡す」という形で、これを韓国側にお渡しすることを決める協定が承認されました。
昨日(3月3日)夜遅くに、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー女史と電話で話をしました。
きっかけは、我が党の阪口直人衆議院議員(和歌山2区)がスー・チーさんとかねてより接点があり、その仲で、私とスー・チーさんとの電話会談が実現しました。
ミャンマーの現状は皆さんご存じのとおりです。一端は、かつて民主的な選挙が行われ、スー・チーさん率いる政党(国民民主連盟)が圧倒的多数を取りましたが、その直後に軍部によるクーデターが起こり、それ以来、軍政がしかれてきました。
先般(2月18日)、外務省に前原外務大臣を訪ねて、民主党沖縄協議会の座長として、提言書(「普天間飛行場の危険性除去および負担軽減に関する提言」)を手渡しました。
中身は、普天間基地の危険性や騒音の除去・軽減についてです。私自身も先月沖縄へ行き、普天間基地のある宜野湾市の安里市長にお会いしました。また、先日は、市長からわざわざ訪ねていただきました。
先日、私が党代表を辞めたあと(2006年3月)に設立した、民主党NGO海外活動推進議員連盟の解散を行いました。
23万円ほど会費が残っていましたので、「ジャパン・プラットフォーム」(NGOや政府、経済界などが緊急援助、復興支援等を迅速に実施するための国際人道支援システム)に寄付することで、議連の皆さんにご承認をいただきました。
韓国において、北朝鮮の砲撃によってお亡くなりになった方が出るという、大きな事件が発生しました。まず、犠牲になられた方々に、お悔やみとお見舞いを申し上げたいと思います。
この事件は、今年3月に哨戒艦「天安号」を魚雷で撃沈させた事件と関連しており、1つの延長線上にある事件だと思います。
ただ、当時は、北朝鮮は自らの関与を否定し、一部の大国の中に同調するかのごとき動きがあったのに対し、今回は、北朝鮮がまず攻撃を仕掛けてきたということがあって、そのことについては疑う余地もないという違いがあります。
ミャンマーで総選挙が行われ、その後、(自宅軟禁中だった)アウン・サン・スー・チーさんが解放され、自由の身になりました。
ミャンマーの問題には、私は外務大臣時代から非常に関心を持って取り組んできました。
この選挙は、誰にでも開かれたという観点から見ると不完全なものであり、いままで権力を持っていた軍部が引き続き権力を維持するということで、様々な問題があることは否めないと思います。
米国中間選挙でのオバマ大統領の民主党の敗北が、米国や世界にどのような影響を及ぼすかと、かなり深刻な事態だと受け止めています。
米国国内は、「大きな政府」か「小さな政府」か、エネルギー政策や環境政策、核軍縮・不拡散といったオバマ大統領の政策にブレーキがかかることが予想されます。
民主党最高顧問、政治改革推進本部長
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